中松です。私が人を尊敬する時には
2つの基準があります。
日々、活動をしているとそれに比例して
いろんな人に出会い、接触する機会があります。
楽しい人、面白い人、明るい人もあれば、
面倒くさい人、いやな人、もう二度と会いたくない人まで
いろいろいるわけです(笑)
そんな中でたまにですが
「尊敬できる人」がいます。
尊敬ってあまり安易に使うと安っぽくなるし、
そもそも使いすぎると、それは尊敬の意に反するので
そうしょっちゅうにはその機会はないのですが、
そうはいってもある程度人に接触していると
一定頻度で尊敬できる人がいるわけです。
そんな時
私が尊敬する基準は2つです。
・遺伝子的に圧倒的に優れている人(先天性)
・考え方や感情のコントロール力が優れている人(後天性)
この2つのどちらかを満たしている場合は
「尊敬できるなこの人」って思います。
それぞれ見ていきましょう。
■遺伝子的に圧倒的に優れている人(先天性)
学校では人は平等と教わりますが、
それは建前であって、実際はぜんぜん平等ではありません。
IQが高い人、身体能力が優れている人、
一芸に値する才能がある人、見た目容姿が優れている人などなど。
持って生まれてきたものが明らかに違う人
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という人が少なからずですが存在します。
学生時代からうすうす感じていましたが、
社会に出ることで、より多くの人、様々な種類の人と接触するので、
この「違い」を感じる機会は多くなりました。
いわば、遺伝子的に圧倒的に優れている存在と接触すると、
羨望、憧れ、畏怖、劣等感、戸惑い、恐怖、緊張、高揚
これらの感情がごちゃごちゃに混ざりあわさり
よく分からなくなるのですが、
これも一種の尊敬なのか?と個人的には結論付けました。
これらはいわば先天的な要素が非常に高いので、
努力云々で埋めるには限界があります。
優れたDNA自体に対して接触した時に
発動する感情が尊敬と言えるかもしれません。
■考え方や感情のコントロール力が優れている人(後天性)
一方で私が尊敬の念を人に抱く時には
まったく別角度からの視点があることにも気づきました。
それは
「考え方や感情のコントロール力が優れている人」
と接触した時です。
人間持って生まれたもので勝負して戦わなければいけません。
客観的に自分の能力や特性を理解して
そのうえでやれることを見極め取り組んでいく。
これが求められるわけです。
しかし、大半の方にとってはこれは非常に難しいことで
実際できないわけです。
持って生まれたものに向き合うことができない、
あるいは客観的に把握できないうちは
思うような望んだ人生を手に入れることは絶対に出来ません。
己を知らない者が他者から評価されることはないのです。
しかし、そんな中が大半を占める社会の中に
たまにですが、すごい人がいます。
先に書いたような遺伝子的に優れている人とは
程遠いようなごくごく普通の凡人の方。
あるいはやや劣等遺伝子ですらある人。
そんな方でもとてつもない結果を出していたり、
活躍しているケースというのを目にする機会があります。
こういう人たちの背景には例外なく
物事に対する考え方が優れていたり、
自身の感情をコントロールする力が
極めて高かったりする部分が秘められています。
考え方や感情コントロールは
いわば後天的な要素で身につけられているわけですが、
こういう人も尊敬に値します。
※考え方や感情をコントロールする力も、もしかしたら遺伝的要素で
決められてしまっているのかもしれませんが、それを言ってしまったら
あまりに夢のない世界になりますので、ここでは後天的を前提にして話を進めていきます。
遺伝子的に圧倒的に優れている人たちを前にして、
明らかに持って生まれた条件が劣っているのに、
負けることなく戦うことを可能にしている
「その考え方」に極めて畏敬の念を抱きますし、学ぶべき点が多々あるわけです。
というわけで、私が人に対して尊敬の念をいだくのは
・遺伝子的に圧倒的に優れている人(先天性)
・考え方や感情のコントロール力が優れている人(後天性)
この2つのケースになります。
ちなみに余談としては私自身は
完全なる後者のタイプに当てはまる人間なわけなので、
このタイプで尊敬できる人に出会ったときは
心から尊敬しますし、また教えを請えるケースであれば
積極的に教わる姿勢です。
(凡人、劣等系から成功した人の考え方のほうが
自分が取り入れた時でも再現性が高いからです)